【ネタバレ】JOKER(ジョーカー)最後の病院でのジョークとは?どこまでが妄想かの考察?

絶賛公開中の『JOKER(ジョーカー)』を観てきた。

主演のホアキン・フェニックスはアカデミー賞は確実か?とも言われている。

実はアメコミ映画にあまり興味がない私である。加えてバットマンやスパイダーマンみたいに町を救う!悪と戦う!みたいなストーリー、ヒーロー系はちょっと苦手。。。けれど、なぜかジョーカーだけは惹かれるというか気になるものがあった。

あのピエロの裏に隠された素顔。どんな環境で、どんな人に出会い、どのような生き方で、彼の中の“ジョーカー”は生まれたのか?そのプロセスを観てみたい。ジョーカーはきっと最初から“ジョーカー”だったわけじゃないはずなのだ。

※完全にネタバレを含む感想、考察なのでまだ観ていない方はご注意ください。
何も見ずに鑑賞することをおすすめします。

JOKER(ジョーカー)を観た

のちのジョーカーであるアーサーは劣悪な治安と貧困が社会問題になっているゴッサムシティで、寝たきりの介護が必要な母と二人暮らし。精神病を患っていて、通院しながら何錠も薬を飲む日々。そんな生活の中でのアーサーの生き甲斐は大道芸の仕事。ピエロのメイクで店の看板持ちや小児病棟でパフォーマンスをしたり。彼の夢はコメディアンだ。

オープニング手前で看板を不良の少年たちに奪われるシーンは胸が痛んだ。優しくしてあげて。。

人を楽しませたい笑わせたいと願うアーサー。けれどアーサーから見える景色は、スモークグレーのフィルターがかかったような薄暗い世界。バスや地下鉄、職場、自室の部屋でさえも悲哀を感じる。その理由は彼の日常から見えてくる。世間や人々からの冷酷な視線や言動。それはどこか自分の生活にもうっすらと見覚えがありそうな事。大きな問題ではなく、実際に明日起きそうな出来事が散りばめられている。それは指のささくれがどんどん広がっていく感覚に近い。声高らかな笑い声が、必死にSOSを出している悲痛な叫びに聞こえる。

どこまでがアーサーの妄想?

流れるようにストーリーが進む中で、緩やかに不穏は始まっていく。

辛い日々を過ごすアーサーの心の救いはエレベーターで出会った同じアパートに住むシングルマザーのソフィー(ザジー・ビーツ)。彼女に出会ってからのシーンは物語の中でもひときわ煌びやかにアーサーの安穏を伝えてくれる。

自分ではない誰かとのコミュニケーションの尊さ、支えてくれる人がたった一人いるだけで人生を少し軽やかに歩いていける。そんなことを感じさせてくれるシーン。

しかし、アーサーにとっても映画を見ている我々にとっても唯一の救いとなるこのソフィーとの関係が実はすべてアーサーの妄想だと分かる。

ソフィはアーサーとは深い仲などではなく、終盤、家に勝手に入ってきたアーサーにソフィは戸惑い、恐怖する。心の拠り所にしてたんだよね。。つらすぎて思い返すたびに首が床につきそうなくらいもたげてしまう。。。妄想だ!って分かった時に、こいつやばいやつだった。。と一瞬思ってしまったけれど。。。ごめん。

さて、このアーサーの妄想癖がこの物語を語る上で最も重要なキーワードだと私は思う。「ソフィーとの関係だけが妄想なのか?」という疑問が湧いてくるのだ。

冷蔵庫のシーンの意味は?

最後まで疑いもせず物語を受け入れていたけど、思い返せば謎のシーンがいくつもあったりする。冒頭のカウンセリングを受けている時に一瞬挟まれる病室にいるシーン。あれ実は最後の病室のシーン。それが何であそこで一瞬差し込まれるのか。何かのフラッシュバックかな?と思いきや、観終わった後にこれがまたスパイスとして効いてくる。時系列の歪みってここから始まっていたんだなと。

私は基本的に物語って、プロローグに沢山ヒントが隠されていると思う。だって大抵ミステリーでも犯人って最初に出てくるし、名探偵コナンに出てくる犯人も、大体最初にコナンくんが話したりこいつ絶対犯人じゃないなって人が犯人だったりする。

話が逸れた。最初のシーンってついつい流し見しちゃうけど、とても大事なキーワードが詰まっている気がする。

話は戻って、謎のシーンの話。
このシーンもちょっと謎。ちょっとというか何なら一番、これどういう意味。。?と頭を悩まされたシーンである。

散々な出来事がアーサーに降りかかった後、突然あらわれるアーサーが冷蔵庫に入るシーン。一度入って扉を閉めるも、きちんと閉まらずもう一度、入念にしっかり締める。このシーンはアーサーの「何もかもから逃げ出したい、閉じこもってしまいたい」という心情をあらわしている、はたまた、アーサーの夢の中での自殺願望のあらわれかと思っていた(この後目覚めるとアーサーが眠っているシーンに繋がる)。

けれど、実はあのまま冷蔵庫でアーサーは自殺してしまっていたらどうだろう?その後のTVショーに出演依頼を受けるシーンも全てアーサーの妄想だったのではないだろうか?冷蔵庫のシーンだけカメラワークが他のシーンと違った記憶。

となるとTVショーに出演し、司会のフランクリン(ロバート・デ・ニーロ)を殺してしまうシーンもアーサーの妄想だし、逮捕された後の街中を暴徒化したピエロ達がジョーカーを讃えるのも妄想。

最初からアーサーの妄想だった可能性も出てくる。地下鉄の事件も、母親とのことも全て。アーサーの突然笑い出してしまう脳の障害も、中盤、母親から幼少期に受けたか虐待のせいでそうなったと判明するけどあれもアーサーが作り出した“設定”ではないかとか。

でも冷蔵庫で自殺なんかできるのだろうか。あの時代の冷蔵庫って中から開けられないようになっているらしいけど、子供ならまだしも、アーサー冷蔵庫に入るのすごく大変そうだった。ぎっちぎち。で、ちょっと、あ、開いちゃった、、って二回目しっかり閉めるシーンがちょっと可愛い。

帰宅後、放心状態で肉を貪りながら考えた結果、深読みのオンパレード。あまりにも考えすぎて辛いのでジョーカーの恍惚なダンスをまねしたりして気を鎮めたりした。

ラストシーンの意味は?

ラストは、冒頭に一瞬挟まれた病室のシーンに戻る。カウンセラーの女性に「なぜ笑っているの?」と聞かれ、煙草をふかしながら(カッコイイ)「きみには理解できないさ」と笑う。その後、病室を抜け出したアーサーは赤い足跡を残しながら廊下を歩き、人に見つかり追いかけられ、エンドロール。コミカルに描かれるその様は「あくまでこれは悲劇ではなく喜劇だよ」と投げかけているみたい。

ラストシーン、廊下をぺたぺた歩くアーサーの赤い足跡は、カウンセラーを殺めてしまった時の血だとして。もし地下鉄で3人、同僚、母親、フランクリンを殺害したのが妄想だとしたら、ここで初めてアーサーは人を殺めてしまったというようにも見える。

ここまでが全てアーサーの妄想だとしたら、それはそれでとんでもなく切ない。この酷い世界は続いていく。それをどうにか笑い飛ばして生きていくしかないという“現実”を突きつけられる。その証拠にアーサーは最後、作中で見せた狂った笑いではなく、シニカルな笑顔を見せる。

バットマンまでもがアーサーの妄想なのではないか?

様々な視点から読み解けるジョーカーには沢山トリックが仕掛けられていて物語としても楽しめるし、これこそが映画の醍醐味!という映像美が節々に感じられる。

地下鉄で人を殺めてしまった後の言葉にならない感情を表したダンス。ジョーカーとして覚醒後の階段でのダンス。狂っているのに美しく感じてしまう自分にも不安感を覚えた。どっぷりはまってしまう、けれどこの背徳感を肯定して良いものか。ああ。。

ただこのアーサー兼ジョーカーはバットマンやダークナイトのジョーカーとは別の人物だと推測。ブルース・ウェインと年の差もあり、あの暴徒たちの中から新たなジョーカーは生み出されたんだろうな。でもそれさえもアーサーの妄想だとしたら、バットマンでさえアーサーの妄想の産物にさえ感じてしまう。じゃあ今までの何だったん、、鳥肌。収集がつかなくなってきた。完全にジョーカーに踊らされている。

もう一度、観に行って凡ゆるシーンを見返したいけれど、なかなか心が疲れるので、、当分は思い返すだけにしておく。

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